Re:ゼロから始める新婚生活

某北欧企業のプログラマーが日々の思ったこと、失敗、経験をまとめたオピニオンブログ

社会人4年目が就活生に伝えたいたった1つのこと

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それは就活はおみくじということだ。


あなたがどんなに素晴らしい学生だとしても、落ちる可能性は十分に高い。

でも、たとえ落とされたとしても、あなたは否定されたわけじゃない。

凶を引いただけだ。

逆に大吉を引く可能性だってあったんだ。

これは上っ面だけの慰めで言っているのではない、ただの真実だ。


なぜ、おみくじなのか?

まず学生の世界と社会人の世界には、決定的な違いがある。

それは正解正解っぽいものの違いだ

学生の世界の試験には正解がある。

スコアで学生の良し悪しを判断する以上、正解を作らなければならないからだ。

だから学生にとって試験に落ちる=スコアが足りない、となる。

スコアが足りない原因のほとんどは勉強不足だ。

正解を知らなかった、あるいは正解へのたどり着き方を知らなかったからだ。

つまり自分の努力が足りなかったんだ。 自分に落ち度があったんだ。


その感覚を就活に当てはめてはいけない。

就活に落ちる=スコアが足りない=自分に落ち度があった、と考えてはいけない。

なぜなら社会人の世界の試験では、自分に落ち度が無くてもスコアが足りない時自分に落ち度があってもスコアが足りる時があるからだ。

社会人の世界では正解は無く、正解っぽいものが無数にある状態だ。

そして誰にも正解はわからないんだ。

だから企業は独自の採点方法を作る。


就活でも、その方法を使って独自のスコアをはじき出し、独自のスコアの高い=正解っぽい学生を採用している。

これは、問題傾向も出題範囲も科目もわからないテストを受けているようなものだ。

だからそこで高いスコアを取るというのは、運任せとしか言いようがない。

だからおみくじと言われるんだ。


もちろん、その独自の採点方法、つまり企業がどんな学生を欲しがってるのかを予想することで多少スコアを上げることは出来るだろう。

完全なおみくじでとは言えないだろう。

それでも、自分に落ち度があった、とは全く関係のない領域であることに変わりはない。


社会は多くのグレーゾーンが存在する。

だからこれからの就活では、その結果に一喜一憂せず。

ただただ、おみくじと割り切り、頑張って欲しい。

「新卒で全てが決まる」と世間では騒がれているが、それも社会人の世界である以上、正解ではない。

ただ「それが正解かもね」という人か多いだけだ。

2018年度就活生の健闘を祈っている。


サムネイル画像引用元:http://www.inc.com/jeff-haden/recruiting-and-hiring-how-to-find-better-candidates.html

失敗は優しさの最高の先生

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僕は本当に失敗が多い。 失敗しないように注意してるつもりでも、失敗する。

つまりおっちょこちょいなのだ。

でも膨大な失敗を経験したことで、良いこともあった。 それは失敗を怖がらなくなったこと失敗を許せるようになったことだ。

後者は日本社会に出てから、とくに良いと思ったことだ。

日本社会では、学生時代に比べて失敗しずらい。 世間体や人事査定が絡んでくるからだ。

だから社会人はますます失敗できなくなる。

そのうち失敗しない自分を凄いと思うようになり、失敗する他人をダメだと思うようになる。

けどそれは間違っている。

人は大なり小なり失敗する。

失敗することがDNAに組み込まれている。

なぜなら、失敗は生き残るための進化に必要だからだ。

失敗は、どうしたら成功するのかの基準になる。 多くの失敗は、その基準を正確にする。

だから本来、失敗した他人は褒められるべきなんだ。 彼らのおかげで、また一歩成功に近づけたのだから。

とくに日本社会には、失敗を許せる感覚を身に付けて欲しい。

そしてそれは失敗することからしか得られないことを忘れないで欲しい。

もちろん、同じ失敗を繰り返すことはダメだ。成功に近づけていないんだから、その時は注意すべきだろう。

けど挑戦による失敗は、どちらの結果になっても褒めるべきだ。

日本は恵まれている、インフラやサービス、あらゆるものに完璧を求めるからだ。

完璧を求めることは良い。 ただ失敗しないこと=完璧じゃない。

その思い込みが、失敗してはいけないと錯覚させる。 錯覚して失敗する他人をダメだと思う。 ダメだと思うから自分も失敗を怖がる。 そして人は他人に優しくなくなる。

挑戦して成功したなら賞賛しよう。

挑戦して失敗したなら感謝しよう。

失敗は優しさの最高の先生だ。


健全なGive&Takeを増やしたい時にすること

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結論から言うと、注意することだ。

Give&Takeは自然界的に言うと食物連鎖環境サイクル。経済的に言うと需要と供給のことた。

これは崩してはいけないバランスの1つで、少しでも崩れると、大量の歪みが発生する。

そしてそれらの歪みは、様々な問題に形を変えて顕在化する。

Give&Takeはすべての単位で言えることだ。

個人、国、星、惑星系、銀河系、銀河団あらゆる単位にバランスが存在している。

そして大事なことは、そのバランスを崩さないことだ。

これが人にはとても難しい。

誰かが崩せば、あっという間に連鎖するからだ。

誰かが崩したバランスを自分が尻拭いしようとは思はないからだ。

全員がキリストになることはできない。 これが人間社会の限界だ。

ではどうすればいいのか。 それはGive&Take&Noteにアップデートすることだ。

Giveの時、相手のTakeはバランスを崩していないかNoteしよう。

バランスを崩そうとするTakeを淘汰していくんだ。

そうすれば、社会は少しづつ健全なGive&Takeだけが残って行く。

あらゆる問題が収束に向かうだろう。

バランスを保とうとすることもまた、連鎖するのだから。


ユーザーには消費することだけに集中させてあげるべきだ

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集中できないプロダクトは、fuckなプロダクトだ。

もしユーザーに「うちのPCでも使えるだろうか?」「職場でも繋がるだろうか?」「他に安い店舗はないだろうか?」「デバイスの規格にあってるだろうか?」と悩ませているとしたら、かなりの確率でそのプロダクトは見直す必要がある。

見直し方はシンプルだ。

一度こう再確認してほしい、「なぜ、そのプロダクトを作るのか?」と。

その答えが、ユーザーメリットと一致するまで見直そう。

そしてめでたく一致してから、次に「なにを作るのか?」「どうやって作るのか?」に進もう。



fuckなプロダクトは、「なぜ」ではなく、「なに」から出発してることが多い。

もっとfuckなプロダクトは「どうやって」から出発していることが多い。

できる限り「なぜ」→「なに」→「どうやって」と進もう。

この順序を間違えると、ユーザーが集中できないプロダクトになる。

とくに先進国のような、もう発展しない国のユーザーの周りには様々なノイズがあり、ただでさえ集中できない状況だ。

にもかかわらず、せっかく集中しようと思ってくれたプロダクトにノイズが入っていれば。

ユーザーは、この上ない裏切りを感じてしまい、二度と戻ってこないだろう。



今、世の中は、集中できないプロダクトで溢れている。

逆に言えば、集中できるプロダクトが目立つ時代だ。

ユーザーには、消費することだけに集中させてあげよう。


本物の優先順位

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30を過ぎ、2つの大きな悩みができた。

1つは時間の感覚だ。 時間が経つのがとても早く感じるようになった。 とくに何かに夢中になってる時は、会社にいる時とは別人のように早い。

もう1つは節度の感覚だ。 やりたい事が絶えなくなった。 2つ目のプロダクトのコードを書きたい、Elixirを習得したい、3つ目のプロダクトに着手したい、新しいデザインパターンを公開したい、掃除したい、よりどりみどりだ。

これは、いわゆる「1日が24時間じゃ足らない病」だ。

やりたい事は沢山あるんだけど、時間が足らなくてサバけない。 サバけないから、もっと努力しないとと思い込み疲れていく。 疲れていくから、パフォーマンスが落ちて、もっとサバけなくなる。

そしてこの悪循環を何周かすると、無気力になる。 目の前の問題に背を向けてしまうんだ。

こうなると最悪だ。 問題はとても寂しがり屋で、背を向けられると、振り向いてもらおうと大きくなる。 時には友達を連れてくる。

僕はそんな時「優先順位をつける」。 
「タスクを効率的に消化する」というのもよく聞くが、それは反復作業や既存作業のように、見通しの立てやすいものに限定される。(例えば会社の業務や単純作業)

ワクワクする、創造的なタスクには難しい。 
どんなハードルがあるのか分からない、そもそもゴールがあるのか分からない、楽しいタスクには常に雲がかかっている。

だから本当に効率的なのは、優先順位をつけることなんだ。誤解して欲しくないのは、1番、2番、3番と付けるのではない。 「たった1つだけを選ぶ」ということだ。

そして、他のタスクは勇気をもって切り捨てるんだ。それが本物の優先順位だ。





正直者はバカを見る、なら正直者2.0になろう

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結論から言うと、正直者がバカを見るのは、正直になる対象がズレているからだ。

もしあなたが本物の正直者なら、心の底から尊敬する。 あなたは本当に素晴らしい存在で、人類の宝といっても過言ではない。 今、最も必要とされる人はあなただと断言しよう。

ただ気をつけてほしい、あなたはバカを見る。 なぜならあなたの周りには、非正直者が圧倒的に多いからだ。

正直者と非正直者は同じコミュニティに生きている、それが社会だ。

そして正直者と非正直者で共通に持っているのが、社会での生存率だ。正直者はこの生存率が圧倒的に低い。

例えば、全生徒の95%が喫煙者の中学校があったとしよう。 親は自分の子供に「タバコを吸ってはいけない」と言うだろうが、子供は吸ってしまうのだ。 なぜなら、吸わなければコミュニティでの生存率が低くなるからだ。

僕たちが生き物であり、コミュニティで生きる限り、生存率は何よりも優先される。

僕たちのコミュニティには、非正直者が圧倒的に多い。だから生存率を上げるために、非正直者は増え続けるんだ。

正直者は自分に正直だ。 だから生存率が下がると分かっていても、正直であることを優先する。そしてバカを見ることになる。 これではダメだ。

今、世の中は非正直者で溢れている。 日に日に正直者の価値は上がっているけど、一方で生存率は下がっている。

だからこれからの正直者にはアップデートが必要なんだ。正直者2になるんだ。

そのためには、まず生存することに正直になってほしい。 「今、正直になったら生存率は下がる?上がる?」と、一呼吸入れるようにしてほしい。

あなたが貴重であることは言うまでもない。 だからこそ、明日からはアップデートした正直者2となって、生き残ってほしい。 これからの世の中を変えていってほしい。 帝国を築いていって欲しい。

さあ、まずはアップデートだ。





「正解か不正解か」を考えることはもうやめよう

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時間は貴重な資産

28歳になって以来、前より1日が短く感じるようになった。

多分、常に1分でも効率良く生きようと心がけてしまうせいだろう。

なぜなら時間は万能な資産だからだ。

時間は金になるし、知識にもなる、スキルにもなる。

ある程度投資すれば、どんなものにもなる。

だから時間はとても大切だ。効率良く生きることはとても重要なんだ。

効率良く生きるためのHow

1つは、何かを選択する時に、「正解か?」「不正解か?」と考えないことだ。

なぜなら、そもそも正解も不正解も存在しない、正解っぽいものが無数にあるだけだからだ。

例えば大学を受験した高校生の場合、高校生にとっては、その選択は正解のように見えるだろう。

でも3年後、家庭の経済事情から、やむおえず働かなければならなくなった。

そひて奨学金の返済だけが残り、学位は取れず、3年間を棒に振るという大きな不幸が生まれ、大学生にとっては、その選択は不正解のように見えるだろう。

この時大学生は、自分が不正解を選んだから、不幸を招いたと思い詰めるだろう。

人生に絶望してしまうことも、あるかもしれない。

長い充電期間が、必要になるかもしれない。

それはとても非効率的な生き方だ。

でも不幸を招いたのは彼の選択じゃない、考え方だ。

正解か不正解か、その考え方が問題だったんだ。

なぜなら本来人生には、正解っぽい選択が無数にあるだけで、正解か不正解き決めることが不可能だからだ。

だから正解か不正解か、と考える必要はない。

正解を求めるから、不正解が生まれる。

不正解が生まれるから、自分を責める。

自分を責めるから、効率が下がる。といった悪循環に陥る。

正解/不正解を求めてはいけない、無いものを求めることは非効率的な上に、非論理的だ。

正解と不正解に代わる基準

どうしてもその選択に基準が欲しければ「やりたい/やりたくない」「楽しい/楽しくない」で選ぶことだ。

正解/不正解なんて複雑なことを考えてはダメだ、もっとシンプルにするべきだ。

すると不思議と不正解っぽい選択をしても、ポジティブでいられるはずだ。

そしてパフォーマンスを維持することも容易になるだろう。

以前よりも、数段、効率良く生きられるだろう。

だから「正解か不正解か」を考えることはもうやめよう。


最高のユーザー体験は、新しいテクノロジーから生まれる

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最高のユーザー体験は、新しいテクノロジーから生まれる。

既存テクノロジーから生まれる体験は、どこか似たり寄ったりに見えてしまって、ワクワクしない。(コピーキャットの糞よりはましだが…)

言うまでもないが、ユーザー体験は最も重要視すべき点の1つだ。 
そのプロダクトの名前を聞くだけで、開演5分前のライブ会場にいるような高揚感をわかせれば勝ちだ。

思わず触りたくなるそういったユーザー体験は、大抵が未体験だからワクワクするんだ。
そして、その未体験を生み出す土台が、新しいテクノロジーだ。 既知テクノロジーでワクワクすることがあったもしても、大抵それは大量のリソースによって作りだされた擬似的なものだ。

あくまで土台であることに、注意してほしい。新しいテクノロジーが重要な理由は他にある。ディベロッパーの存在だ。


優れたディベロッパーは新しいテクノロジーに敏感で、常にアンテナを張っている。そして目利きが効く。 新しいテクノロジーは、彼らにとって最高にエキサイティングな存在なんだ。

だから、彼らをより多く集めることが、本当に大事なことなんだ。 彼らの想像力の密度が最高点に達した時、テクノロジーとの化学反応が起こり最高のプロダクトが生まれる、最高のユーザー体験が生まれるんだ。

最高のユーザー体験は、新しいテクノロジーから生まれる。

社会は「バラ色」ではなく「灰色」

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2017年になり、「働き方改革」「ワークライフバランス」という言葉をよく見るようになった。

これはとても素晴らしいことだ。

高橋まつりさんの事件は、とても衝撃的だった。 21世紀に、まだ、命より仕事を優先させる企業がいるということを知ったからだ。

こうした若者の自殺は、少子化に追い打ちをかける。

だから、さっきのような取り組みが活発化することは凄く良いことだ。



1つ気になるのは、長時間労働 = 過労死という認識だ。

僕は過去に3ヶ月ほど休職したことがある。

その時は、平日は8:00〜0:15まで働き、残業時間は優に100時間を超えていた。

そしてある日、突然、バーンアウトシンドロームになり、何もする気が起きなくなった。

会社側は、長時間労働が原因だと思っている。

でも、僕は業務内容だと思う。

なぜなら、当時の業務内容を一言で言うと、fuckな業務だったからだ。

当時、製品開発のエンジニアだった僕は、業績の関係でSEのヘルプに回された。 そして、膨大な書類を、膨大な時間をかけて、fuckなメンバーとfuckなレビューを、延々繰り返していた。

1ステップもコードを書くことはなかった。

前時代できな、超非効率的な仕組みに、ただただ時間を取られる毎日。

そして、「今後、3年はこれで飯を食ってくのか」と思った時、今までに感じたことのない類の強烈なストレスを感じたことを覚えている。

間違いなく、バーンアウトの原因はあのストレスだ。



僕はそこに若者の自殺を助長させるものがあると思っている。

若者にとって、社会はテレビドラマのような場所だ。

開放的なオフィスで、素敵なチームと、一丸になって仕事をする、そんな場所だと思っているんだ。

大人が、学生青春アニメと、現実の学生生活を重ねるのと同じだ。(僕には高校生の妹と大学生の弟がいるが、そんな青春話は聞いたことがない)

そのギャップが、若者の自殺を助長していると僕は思う。

社会は酷い場所だ、バラ色の社会は、ほとんど存在しない。

だから、過度な期待をもって社会に出るのは本当に危険だ。

少なくとも、僕の4年間の社会人生活からは、社会は灰色で、ろくでもない奴が多く、理不尽が多く、fuckな場所のように見えている。

だから、これから社会に出る若者には、灰色からスタートしてほしい。

確かに、最近、社会はバラ色の方向に動いている。 小さなうねりが生まれている、もうしばらくの辛抱だろう。

ただ、明日良くなることはない、だから過度な期待を持って社会に出ることだけはやめた方がいい。


大企業に行っても、大学に行っても「無駄じゃない」

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「大企業では成長できない」「大学なんか無駄」、そんなディスりを、よく聞いたことがあると思う。

僕は、そう思わない。 なぜなら、大企業と大学は新しい出会いのために行く場所だからだ。

そこで得られる世間体や学歴は、おまけでしかない。

本当に価値があるのは、新しい出会いなんだ。

元アルゼンチン大統領のホセ・ムヒカさんは、「本当の幸せは、命のあるものからしか得られない」と言った。

新しい出会いにも、彼の言葉に通じるものがある。



注意点はある。それは集中することだ。

その価値には不確実性がある。

シュレディンガー方程式波動関数のように、新しい出会いも、多くの可能性の中の1つにすぎない。

新しい出会いに集中していなければ、あっという間に無価値になる。それが新しい出会いの性質だ。

さっきのようなディスりが増えているのは、集中できない人が増えていると僕は思う。

本来、手に入れられたはずの大きな価値を見逃しているのかもしれない。

だとしたら、なおさら声を大きくして言いたい。

大企業に行くことも、大学に行くことも、無駄じゃない。