「正解か不正解か」を考えることはもうやめよう
時間は貴重な資産
28歳になって以来、前より1日が短く感じるようになった。
多分、常に1分でも効率良く生きようと心がけてしまうせいだろう。
なぜなら時間は万能な資産だからだ。
時間は金になるし、知識にもなる、スキルにもなる。
ある程度投資すれば、どんなものにもなる。
だから時間はとても大切だ。効率良く生きることはとても重要なんだ。
効率良く生きるためのHow
1つは、何かを選択する時に、「正解か?」「不正解か?」と考えないことだ。
なぜなら、そもそも正解も不正解も存在しない、正解っぽいものが無数にあるだけだからだ。
例えば大学を受験した高校生の場合、高校生にとっては、その選択は正解のように見えるだろう。
でも3年後、家庭の経済事情から、やむおえず働かなければならなくなった。
そひて奨学金の返済だけが残り、学位は取れず、3年間を棒に振るという大きな不幸が生まれ、大学生にとっては、その選択は不正解のように見えるだろう。
この時大学生は、自分が不正解を選んだから、不幸を招いたと思い詰めるだろう。
人生に絶望してしまうことも、あるかもしれない。
長い充電期間が、必要になるかもしれない。
それはとても非効率的な生き方だ。
でも不幸を招いたのは彼の選択じゃない、考え方だ。
正解か不正解か、その考え方が問題だったんだ。
なぜなら本来人生には、正解っぽい選択が無数にあるだけで、正解か不正解き決めることが不可能だからだ。
だから正解か不正解か、と考える必要はない。
正解を求めるから、不正解が生まれる。
不正解が生まれるから、自分を責める。
自分を責めるから、効率が下がる。といった悪循環に陥る。
正解/不正解を求めてはいけない、無いものを求めることは非効率的な上に、非論理的だ。
正解と不正解に代わる基準
どうしてもその選択に基準が欲しければ「やりたい/やりたくない」「楽しい/楽しくない」で選ぶことだ。
正解/不正解なんて複雑なことを考えてはダメだ、もっとシンプルにするべきだ。
すると不思議と不正解っぽい選択をしても、ポジティブでいられるはずだ。
そしてパフォーマンスを維持することも容易になるだろう。
以前よりも、数段、効率良く生きられるだろう。
だから「正解か不正解か」を考えることはもうやめよう。