Re:ゼロから始める新婚生活

某北欧企業のプログラマーが日々の思ったこと、失敗、経験をまとめたオピニオンブログ

ユーザーには消費することだけに集中させてあげるべきだ

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集中できないプロダクトは、fuckなプロダクトだ。

もしユーザーに「うちのPCでも使えるだろうか?」「職場でも繋がるだろうか?」「他に安い店舗はないだろうか?」「デバイスの規格にあってるだろうか?」と悩ませているとしたら、かなりの確率でそのプロダクトは見直す必要がある。

見直し方はシンプルだ。

一度こう再確認してほしい、「なぜ、そのプロダクトを作るのか?」と。

その答えが、ユーザーメリットと一致するまで見直そう。

そしてめでたく一致してから、次に「なにを作るのか?」「どうやって作るのか?」に進もう。



fuckなプロダクトは、「なぜ」ではなく、「なに」から出発してることが多い。

もっとfuckなプロダクトは「どうやって」から出発していることが多い。

できる限り「なぜ」→「なに」→「どうやって」と進もう。

この順序を間違えると、ユーザーが集中できないプロダクトになる。

とくに先進国のような、もう発展しない国のユーザーの周りには様々なノイズがあり、ただでさえ集中できない状況だ。

にもかかわらず、せっかく集中しようと思ってくれたプロダクトにノイズが入っていれば。

ユーザーは、この上ない裏切りを感じてしまい、二度と戻ってこないだろう。



今、世の中は、集中できないプロダクトで溢れている。

逆に言えば、集中できるプロダクトが目立つ時代だ。

ユーザーには、消費することだけに集中させてあげよう。


本物の優先順位

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30を過ぎ、2つの大きな悩みができた。

1つは時間の感覚だ。 時間が経つのがとても早く感じるようになった。 とくに何かに夢中になってる時は、会社にいる時とは別人のように早い。

もう1つは節度の感覚だ。 やりたい事が絶えなくなった。 2つ目のプロダクトのコードを書きたい、Elixirを習得したい、3つ目のプロダクトに着手したい、新しいデザインパターンを公開したい、掃除したい、よりどりみどりだ。

これは、いわゆる「1日が24時間じゃ足らない病」だ。

やりたい事は沢山あるんだけど、時間が足らなくてサバけない。 サバけないから、もっと努力しないとと思い込み疲れていく。 疲れていくから、パフォーマンスが落ちて、もっとサバけなくなる。

そしてこの悪循環を何周かすると、無気力になる。 目の前の問題に背を向けてしまうんだ。

こうなると最悪だ。 問題はとても寂しがり屋で、背を向けられると、振り向いてもらおうと大きくなる。 時には友達を連れてくる。

僕はそんな時「優先順位をつける」。 
「タスクを効率的に消化する」というのもよく聞くが、それは反復作業や既存作業のように、見通しの立てやすいものに限定される。(例えば会社の業務や単純作業)

ワクワクする、創造的なタスクには難しい。 
どんなハードルがあるのか分からない、そもそもゴールがあるのか分からない、楽しいタスクには常に雲がかかっている。

だから本当に効率的なのは、優先順位をつけることなんだ。誤解して欲しくないのは、1番、2番、3番と付けるのではない。 「たった1つだけを選ぶ」ということだ。

そして、他のタスクは勇気をもって切り捨てるんだ。それが本物の優先順位だ。





正直者はバカを見る、なら正直者2.0になろう

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結論から言うと、正直者がバカを見るのは、正直になる対象がズレているからだ。

もしあなたが本物の正直者なら、心の底から尊敬する。 あなたは本当に素晴らしい存在で、人類の宝といっても過言ではない。 今、最も必要とされる人はあなただと断言しよう。

ただ気をつけてほしい、あなたはバカを見る。 なぜならあなたの周りには、非正直者が圧倒的に多いからだ。

正直者と非正直者は同じコミュニティに生きている、それが社会だ。

そして正直者と非正直者で共通に持っているのが、社会での生存率だ。正直者はこの生存率が圧倒的に低い。

例えば、全生徒の95%が喫煙者の中学校があったとしよう。 親は自分の子供に「タバコを吸ってはいけない」と言うだろうが、子供は吸ってしまうのだ。 なぜなら、吸わなければコミュニティでの生存率が低くなるからだ。

僕たちが生き物であり、コミュニティで生きる限り、生存率は何よりも優先される。

僕たちのコミュニティには、非正直者が圧倒的に多い。だから生存率を上げるために、非正直者は増え続けるんだ。

正直者は自分に正直だ。 だから生存率が下がると分かっていても、正直であることを優先する。そしてバカを見ることになる。 これではダメだ。

今、世の中は非正直者で溢れている。 日に日に正直者の価値は上がっているけど、一方で生存率は下がっている。

だからこれからの正直者にはアップデートが必要なんだ。正直者2になるんだ。

そのためには、まず生存することに正直になってほしい。 「今、正直になったら生存率は下がる?上がる?」と、一呼吸入れるようにしてほしい。

あなたが貴重であることは言うまでもない。 だからこそ、明日からはアップデートした正直者2となって、生き残ってほしい。 これからの世の中を変えていってほしい。 帝国を築いていって欲しい。

さあ、まずはアップデートだ。





「正解か不正解か」を考えることはもうやめよう

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時間は貴重な資産

28歳になって以来、前より1日が短く感じるようになった。

多分、常に1分でも効率良く生きようと心がけてしまうせいだろう。

なぜなら時間は万能な資産だからだ。

時間は金になるし、知識にもなる、スキルにもなる。

ある程度投資すれば、どんなものにもなる。

だから時間はとても大切だ。効率良く生きることはとても重要なんだ。

効率良く生きるためのHow

1つは、何かを選択する時に、「正解か?」「不正解か?」と考えないことだ。

なぜなら、そもそも正解も不正解も存在しない、正解っぽいものが無数にあるだけだからだ。

例えば大学を受験した高校生の場合、高校生にとっては、その選択は正解のように見えるだろう。

でも3年後、家庭の経済事情から、やむおえず働かなければならなくなった。

そひて奨学金の返済だけが残り、学位は取れず、3年間を棒に振るという大きな不幸が生まれ、大学生にとっては、その選択は不正解のように見えるだろう。

この時大学生は、自分が不正解を選んだから、不幸を招いたと思い詰めるだろう。

人生に絶望してしまうことも、あるかもしれない。

長い充電期間が、必要になるかもしれない。

それはとても非効率的な生き方だ。

でも不幸を招いたのは彼の選択じゃない、考え方だ。

正解か不正解か、その考え方が問題だったんだ。

なぜなら本来人生には、正解っぽい選択が無数にあるだけで、正解か不正解き決めることが不可能だからだ。

だから正解か不正解か、と考える必要はない。

正解を求めるから、不正解が生まれる。

不正解が生まれるから、自分を責める。

自分を責めるから、効率が下がる。といった悪循環に陥る。

正解/不正解を求めてはいけない、無いものを求めることは非効率的な上に、非論理的だ。

正解と不正解に代わる基準

どうしてもその選択に基準が欲しければ「やりたい/やりたくない」「楽しい/楽しくない」で選ぶことだ。

正解/不正解なんて複雑なことを考えてはダメだ、もっとシンプルにするべきだ。

すると不思議と不正解っぽい選択をしても、ポジティブでいられるはずだ。

そしてパフォーマンスを維持することも容易になるだろう。

以前よりも、数段、効率良く生きられるだろう。

だから「正解か不正解か」を考えることはもうやめよう。


最高のユーザー体験は、新しいテクノロジーから生まれる

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最高のユーザー体験は、新しいテクノロジーから生まれる。

既存テクノロジーから生まれる体験は、どこか似たり寄ったりに見えてしまって、ワクワクしない。(コピーキャットの糞よりはましだが…)

言うまでもないが、ユーザー体験は最も重要視すべき点の1つだ。 
そのプロダクトの名前を聞くだけで、開演5分前のライブ会場にいるような高揚感をわかせれば勝ちだ。

思わず触りたくなるそういったユーザー体験は、大抵が未体験だからワクワクするんだ。
そして、その未体験を生み出す土台が、新しいテクノロジーだ。 既知テクノロジーでワクワクすることがあったもしても、大抵それは大量のリソースによって作りだされた擬似的なものだ。

あくまで土台であることに、注意してほしい。新しいテクノロジーが重要な理由は他にある。ディベロッパーの存在だ。


優れたディベロッパーは新しいテクノロジーに敏感で、常にアンテナを張っている。そして目利きが効く。 新しいテクノロジーは、彼らにとって最高にエキサイティングな存在なんだ。

だから、彼らをより多く集めることが、本当に大事なことなんだ。 彼らの想像力の密度が最高点に達した時、テクノロジーとの化学反応が起こり最高のプロダクトが生まれる、最高のユーザー体験が生まれるんだ。

最高のユーザー体験は、新しいテクノロジーから生まれる。

社会は「バラ色」ではなく「灰色」

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2017年になり、「働き方改革」「ワークライフバランス」という言葉をよく見るようになった。

これはとても素晴らしいことだ。

高橋まつりさんの事件は、とても衝撃的だった。 21世紀に、まだ、命より仕事を優先させる企業がいるということを知ったからだ。

こうした若者の自殺は、少子化に追い打ちをかける。

だから、さっきのような取り組みが活発化することは凄く良いことだ。



1つ気になるのは、長時間労働 = 過労死という認識だ。

僕は過去に3ヶ月ほど休職したことがある。

その時は、平日は8:00〜0:15まで働き、残業時間は優に100時間を超えていた。

そしてある日、突然、バーンアウトシンドロームになり、何もする気が起きなくなった。

会社側は、長時間労働が原因だと思っている。

でも、僕は業務内容だと思う。

なぜなら、当時の業務内容を一言で言うと、fuckな業務だったからだ。

当時、製品開発のエンジニアだった僕は、業績の関係でSEのヘルプに回された。 そして、膨大な書類を、膨大な時間をかけて、fuckなメンバーとfuckなレビューを、延々繰り返していた。

1ステップもコードを書くことはなかった。

前時代できな、超非効率的な仕組みに、ただただ時間を取られる毎日。

そして、「今後、3年はこれで飯を食ってくのか」と思った時、今までに感じたことのない類の強烈なストレスを感じたことを覚えている。

間違いなく、バーンアウトの原因はあのストレスだ。



僕はそこに若者の自殺を助長させるものがあると思っている。

若者にとって、社会はテレビドラマのような場所だ。

開放的なオフィスで、素敵なチームと、一丸になって仕事をする、そんな場所だと思っているんだ。

大人が、学生青春アニメと、現実の学生生活を重ねるのと同じだ。(僕には高校生の妹と大学生の弟がいるが、そんな青春話は聞いたことがない)

そのギャップが、若者の自殺を助長していると僕は思う。

社会は酷い場所だ、バラ色の社会は、ほとんど存在しない。

だから、過度な期待をもって社会に出るのは本当に危険だ。

少なくとも、僕の4年間の社会人生活からは、社会は灰色で、ろくでもない奴が多く、理不尽が多く、fuckな場所のように見えている。

だから、これから社会に出る若者には、灰色からスタートしてほしい。

確かに、最近、社会はバラ色の方向に動いている。 小さなうねりが生まれている、もうしばらくの辛抱だろう。

ただ、明日良くなることはない、だから過度な期待を持って社会に出ることだけはやめた方がいい。


大企業に行っても、大学に行っても「無駄じゃない」

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「大企業では成長できない」「大学なんか無駄」、そんなディスりを、よく聞いたことがあると思う。

僕は、そう思わない。 なぜなら、大企業と大学は新しい出会いのために行く場所だからだ。

そこで得られる世間体や学歴は、おまけでしかない。

本当に価値があるのは、新しい出会いなんだ。

元アルゼンチン大統領のホセ・ムヒカさんは、「本当の幸せは、命のあるものからしか得られない」と言った。

新しい出会いにも、彼の言葉に通じるものがある。



注意点はある。それは集中することだ。

その価値には不確実性がある。

シュレディンガー方程式波動関数のように、新しい出会いも、多くの可能性の中の1つにすぎない。

新しい出会いに集中していなければ、あっという間に無価値になる。それが新しい出会いの性質だ。

さっきのようなディスりが増えているのは、集中できない人が増えていると僕は思う。

本来、手に入れられたはずの大きな価値を見逃しているのかもしれない。

だとしたら、なおさら声を大きくして言いたい。

大企業に行くことも、大学に行くことも、無駄じゃない。


当たり前の生活は「夢を追う生活の足腰」

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前置き

どうもはじめまして、社会人4年目、ソフトウェアエンジニアのi-takakiXです。

今年、30歳という節目を迎えたこともあり、ブログを始めてみました。

前からやってみたいと思っていた。

なぜなら、僕は普通の人より沢山の失敗と挫折を経験しているからだ。

未だに子供のような人間で、物事の好き嫌いが激しく、それで良い時もあれば、悪い時もあった。

良い時というのは、ハイリスクハイリターンな人生の選択をする時だ。 好きなことなら、どんなリスクがあっても、気軽に選ぶことができる。

悪い時というのは、自分以外の人を巻き込んだ人生の選択をする時だ。 好きなことでも、時に、自分以外の人を傷つけてしまうことがある。

今でこそ、少し自重できるようになったものの、まだまだな点は多い。

でも、多くの失敗は、自分にとって良い経験になってる。 もしかしたら、自分の失敗から、誰かの失敗を防げるかもしれない。

このブログを読んで、「うわ、気をつけよう」と思ってもらえたなら、幸いだ。



本題

学生、社会人、老人、どんな人にも当たり前の生活が存在する。

起きてから寝るまでの、一連のルーチンワークのことだ。

酸素のように当たり前すぎて、日々、ありがたいと思っている人は稀かもしれない。

僕も、つい最近までは、思うことはなかった。



でも3ヶ月の休職を通して、その生活が、夢を追うための生活の足腰だったことに気づいた。

住む所、働く所、着るもの、食べるもの、支えてくれる人、これら全てで当たり前の生活は成り立っている。

そして、どれか一つでも欠ければ、夢を追うどころではなくなるんだ。

30歳になって夢を追うのと、15歳になって追うのはまるで違う。

なぜなら、30歳になれば、当たり前の生活をメンテナンスしなければいけないからだ。

それは社会で生き、生かされている一個人として当然のことだ。

ただ、メンテナンスにはそれなりのコスト(時間)がかかる。

時間管理能力が大事だと言われる理由もそこにある。



夢を追っている時は、時間が惜しい。 一分一秒だって、夢に掛けていたい気持ちになる。 夢を追うことは、とても素晴らしいこと。

でも、メンテナンスをサボっては、本当にダメだ。

夢を追うことで、親を悲しませているのなら、それは不幸を追っている。

夢を追うことで、嫁さんを泣かせているのなら、それは破滅を追っている。

夢を追うことで、子供が失望しているのなら、それは孤独を追っている。

当たり前の生活の無い、夢を追う生活をしてはいけない、今着ている服も、今朝飲んだ水も、通勤で乗った満員電車も、誰かがメンテナンスしてくれている。

忘れてはいけない、当たり前の生活は、夢を追う生活の足腰だ。