本物のワークライフバランスを実現するために、誰でも今すぐできること
それは、タクシー運転手やコンサルタント、グループ会社といったパートナーの過剰なサービスを断ることだ。
働き方改革や、それに近しい取り組みはとても素晴らしいことだ。
会社に行くのが楽しくてしょうがない。
仕事が楽しくてしょうがない。
職場が楽しくてしょうがない。
それは誰しもが否定しない、ベストシーンだ。
でもこの国では、そのベストシーンの実現が中々難しい。
なぜか。
それは、この国のサービス文化が不健全だからだ。
サービスすること自体はいい。
サービスする側、される側も悪い気はしない。
どの国にも、どんな時代にもサービス文化はある。
これは人間社会という特殊な環境を機能させるために、不可欠な要素だと思う。
問題は、それが健全か不健全かということだ。
この国のサービス文化は世界一と言ってもいいくらいだが、健全ではない。
なぜなら、自己犠牲が多すぎるからだ。
サービスには、Giver&Takerが登場する。
そして健全なサービスでは、クライアントはTakerであると同時にGiverでもある。
パートナーでも同じだ。
お互いにGiver&Takerな関係で、双方向なサービスになっているんだ。
劇場なんかが、いい例だ。
クライアントは観客、パートナーが劇場の構成員だ。
一見、観客は、素晴らしい劇を見せてもらってるだけのように見える。
でも実際は、チケット代以外に、観客は惜しみない拍手や評判、口コミといったサービスを、劇場に提供している。
双方向にGiverな存在となっているんだ。
一方、不健全なサービスでは、クライアントがTakerで、パートナーがGiverと完全に区別される。
一方向なサービスなんだ。
役者がどんなに演じても、拍手は無く、歓声も無く、反応も無い。
こうなると最悪だ。
不健全なサービスでは、クライアントはサービスしてもらって当たり前、パートナーはサービスして当たり前だと錯覚する。
錯覚すると、お互いにサービスするための自己犠牲は当然だと錯覚する。
そして負のスパイラルに落ちる。
負のスパイラルでは、パートナーは衰弱し、サービスを支えるために大量の自己犠牲を強いるような、最低の状況になる。
これが今のこの国の状況だ。
今この国は、最低の状況を「美徳」や「文化」といった蓋で隠してるだけだ。
でも、いつまでも隠しきれるものじゃない。
個人の意見が、一瞬で世界に拡散する今の時代では、蓋はもう通用しない。
そして自己犠牲なんかなくても、この国のサービスの質は落ちないと信じよう。
なぜなら、一度、自己犠牲を経験した人は等しく優しいからだ。
だから今日から、パートナーに不健全な接客を求めるのは止めよう。
パートナーに不健全な要求をすることは止めよう。
パートナーに不健全な自己犠牲を強いるのは止めよう。
はじめの一歩は、まずクライアントが変わることだ。
そしてその一歩とは、パートナーの過剰なサービスを断ることだ。
パートナーの自己犠牲を止めることだ。
サムネイル画像引用元:http://blogstoread.com/its-time-to-get-out-of-the-office-and-enjoy-some-team-building-activities/