Re:ゼロから始める新婚生活

某北欧企業のプログラマーが日々の思ったこと、失敗、経験をまとめたオピニオンブログ

当たり前の生活は「夢を追う生活の足腰」

f:id:i-takakiX:20170124235402j:plain

前置き

どうもはじめまして、社会人4年目、ソフトウェアエンジニアのi-takakiXです。

今年、30歳という節目を迎えたこともあり、ブログを始めてみました。

前からやってみたいと思っていた。

なぜなら、僕は普通の人より沢山の失敗と挫折を経験しているからだ。

未だに子供のような人間で、物事の好き嫌いが激しく、それで良い時もあれば、悪い時もあった。

良い時というのは、ハイリスクハイリターンな人生の選択をする時だ。 好きなことなら、どんなリスクがあっても、気軽に選ぶことができる。

悪い時というのは、自分以外の人を巻き込んだ人生の選択をする時だ。 好きなことでも、時に、自分以外の人を傷つけてしまうことがある。

今でこそ、少し自重できるようになったものの、まだまだな点は多い。

でも、多くの失敗は、自分にとって良い経験になってる。 もしかしたら、自分の失敗から、誰かの失敗を防げるかもしれない。

このブログを読んで、「うわ、気をつけよう」と思ってもらえたなら、幸いだ。



本題

学生、社会人、老人、どんな人にも当たり前の生活が存在する。

起きてから寝るまでの、一連のルーチンワークのことだ。

酸素のように当たり前すぎて、日々、ありがたいと思っている人は稀かもしれない。

僕も、つい最近までは、思うことはなかった。



でも3ヶ月の休職を通して、その生活が、夢を追うための生活の足腰だったことに気づいた。

住む所、働く所、着るもの、食べるもの、支えてくれる人、これら全てで当たり前の生活は成り立っている。

そして、どれか一つでも欠ければ、夢を追うどころではなくなるんだ。

30歳になって夢を追うのと、15歳になって追うのはまるで違う。

なぜなら、30歳になれば、当たり前の生活をメンテナンスしなければいけないからだ。

それは社会で生き、生かされている一個人として当然のことだ。

ただ、メンテナンスにはそれなりのコスト(時間)がかかる。

時間管理能力が大事だと言われる理由もそこにある。



夢を追っている時は、時間が惜しい。 一分一秒だって、夢に掛けていたい気持ちになる。 夢を追うことは、とても素晴らしいこと。

でも、メンテナンスをサボっては、本当にダメだ。

夢を追うことで、親を悲しませているのなら、それは不幸を追っている。

夢を追うことで、嫁さんを泣かせているのなら、それは破滅を追っている。

夢を追うことで、子供が失望しているのなら、それは孤独を追っている。

当たり前の生活の無い、夢を追う生活をしてはいけない、今着ている服も、今朝飲んだ水も、通勤で乗った満員電車も、誰かがメンテナンスしてくれている。

忘れてはいけない、当たり前の生活は、夢を追う生活の足腰だ。